萬鐵五郎 「赤い目の自画像」
作品詳細データ
1912-13(明治45〜大正2)年
油彩・画布
60.7×45.5cm
油彩・画布
60.7×45.5cm
明治18年いまの東和町に生まれた萬鐵五郎は日本の前衛絵画のパイオニアである。明治末期から続々と紹介されるようになった西洋の新しい絵画思潮に迅速に反応した彼は、それらとの格闘を通して、超然と屹立する独立峰のような作品世界を築き上げた。 この絵は、日本最初の前衛美術家集団であるフュウザン会の展覧会に萬が出品していた頃の作と考えられている。頭部や衣服の部分の鋭角的な面の分割や、それらが激しく交錯する表現に、少し前にイタリアに興った未来派の絵画の影響が指摘されているが、大正元年の夏、萬の友人でフュウザン会同人であった木村荘八、瓜生養次郎のもとにイタリアの詩人マリネッティから未来派の資料が届けられたと伝えられており、それらを見て萬が刺激を受けた可能性が高い。
未来派の絵画への同時代的な感応の結果生み出された本作は、同様に未来派の影響を受けて成立したロシアのラリオノフらのレイヨニズム(光線主義)の絵画にも比すべきものであり、世界的に見ても重要である。