舟越保武「原の城」
作品詳細データ
1971(昭和46)年
ブロンズ
197.0×64.0×53.0cm
ブロンズ
197.0×64.0×53.0cm
島原の乱は、島原や天草の領民が1637(寛永14)年に領主の苛政やキリシタン的動きの取り締まりに耐えかねて起こした農民一揆。当時すでに廃城になっていた原の城に2万7千の一揆軍は立てこもって応戦。凄惨を極めた戦いの末、10数万の幕府軍に敗れ去り全員殺害された。
その原の城址を舟越保武が訪れたときは、静かな海を背に花々が咲き雲雀鳴く明るい長閑(のどか)な丘であった。かつて凄惨な戦いがあったとは。かえってそこが明るく静かであっただけに、彼には地の底から数万のキリシタンや農民たちの絶望的な鬨(とき)の声が聞こえるようで悲惨な結末が不気味に迫る。
以来、現実と幻想、実像と虚像といった相反する世界を彫刻家は行き来することになった。本丸で討ち死にした兵士が雨上がりの夜に月光を浴び亡霊のように立ち上がる姿を心に描く。現実と幻想のあいだを浮遊する像、ときに現れときに消える。彫刻という実体のあるもによって幻覚のようなものを作りだそうとした。これができて彫刻家は原の城の幻影から解放された。