Vol.109 1986年夏のこと
館長 藁谷収
2023.03
その年は、念願であったイタリア・カッラーラ市で開催された国際彫刻シンポジウムに参加していた。制作を終え、ヴェネツィアに向かったのは、2年に一度開催される現代美術の国際美術展覧会ビエンナーレを観るためである。
初めてのヴェネツィア、駅を降りると目の前に広がる大運河、迷宮のような街で地図はあまり役に立たない感がある。道なりに目につく標識は、→San.Marco(サンマルコ教会)や→ferroviaria(鉄道駅)→Rialto(リアルト橋)、→Accademia(アカデミア美術館)ばかりで近道は存在しない。
同じ処をグルグル回っている様な気分になりながら、サンマルコ広場に辿り着いて一息入れた。目指すは、ビエンナーレ会場のジャルディーニ公園。そこは、各国の恒久パビリオンが連なり、独特な空間を作り上げている。その他の会場は、造船場跡のアルセナーレ、新人登竜門のアペルト会場が市内のヴィラなどに点在する。
この年のテーマは「芸術と科学」。日本館には選抜された若林奮、眞板雅文(コミッショナー酒井忠康)が展示されていた。若林は《大気中の緑色に属するものⅡ》、眞板は《樹々の精》華やかさより、表現を考えさせられる。あの青い空と海の世界に戸惑いを感じたものである。
記憶に強く残ったのは、アメリカ館のイサムノグチの《白いマントル》、イタリア館のイゴール・ミトラジ
旧市街に戻りパラッツォ・グッラシ館で開催されている「未来派」展Futurismo and Futurismiを観る。この企画はポンピドーセンター初代センター長を務めたポントゥス・フルテンがディレクションをしている。館は18世紀後半に建てられた新古典主義の様式で、歴史的建造物の中に未来派の美術作品が不思議とマッチした会場である。マリネッティの未来派主義宣言、ボッチョーニ、ジャコモ・バッラ、ジーノセバリー二、カルロ・カッラ、ルイジ・ルッソロなどの主要作品が系統的に展示されていた。会場の一角にビデオコーナーが設置されていて、そこで画像の萬鉄五郎「もたれて立つ人」と対面したことは、誇らしくもあり、不思議な経験だった。今でも私の書棚には、5センチ以上もある分厚いこの展覧会のカタログがあり、どの様にして重い図録を持ち帰ることができたのか、記憶には無い。
何年も経った後で、画家の村上善男が、ヴェネツィアから岩手県にその展覧会への萬の作品の貸し出し依頼があったこと、そして貸し出すことができなかったことを強く嘆いていた文章を見つけた。ヴェネツィアのあの暑い夏を思い出し、当館所蔵の萬作品《赤い目の自画像》などを眺めている。