vol.57 イメージは記憶の中に
首席専門学芸員兼学芸普及課長 大野正勝
2015.3
いつか帰省した折、久しぶりにわが家に遺されている祖父の写真アルバムを見る機会があった。古びた黒い台紙には祖父や家族、その時々に祖父が関係した人たちの写真が貼られている。青春時代の祖父の肖像写真。軍服姿で村衆とともに役場前で整列した集合写真。未来の孫が高校通学で利用する後の国鉄地方線を通すために何人もの土木作業員たちがツルハシを振り下ろして切通しを掘り下げる工事の様子。実家の前を木の電柱を積んだ大八車が馬に引かれてゆっくり進む様(なぜそう感じたのだろう)を二階から撮影した写真など。祖父の古びたアルバムは子どもの頃から何度も眺めていたけれど、あらためてそれらの写真を見て、そこに写ってはいない何かが、一瞬脳裏に想起されるような不思議な体験をしたことを思い出した。
その体験は、何かの事柄として説明することができたり、具体的な物語を綴るものではないけれど、写真に写されたよく見知った人や場所が、昭和10年代初め、それ以前にはこんな様子だったのかと思うや否や、自分が生まれるおよそ20年前に撮影されたその日その場所に自分が一瞬のあいだ存在しているような気がしたのだ。その時、その日その場所にタイムスリップしたように、実際に見ることなどあり得ない若い日の家族や、隣家、村役場、鉄道の切通しや周辺の集落などが、よく言われるセピア色ではない現実的な光景となって脳裏に立ち現れたのである。
実はこうしたことは誰にでも起こっていることかも知れない。その写真の内容が、自分自身がよく知っていることや体験したことがあるなど、個人の奥深くにしまわれたある過去にかんする記憶だった場合、それが想起の導火線のような働きをするのではないだろうか。その時その場所その情景を記録しておくこと。写真にしても肉筆や活字にしても、あるいは物にしても、いずれもがそれに関係する未来の人間にとって、実際には体験していない過去のことをふと脳裏に想起させる貴重な歴史資料になる。
それが絵画だったらどうだろう。例えば岩手県立美術館で所蔵している松本竣介が昭和17年に描いた《議事堂のある風景》。横幅約90cmの油彩画。竣介の表現スタイルが円熟した時期の一点である。画面遠くにシルエットのように描かれた議事堂はニョッキリと現れた何かの残像のようにも見える。道路で隔てられているのだろうその左側には、人々が働きまた暮らす工場や民家と思しき建物が押し黙るようにして建ち並ぶ。煙突から微かに煙が立ち昇っているのも確認できる。まるで身を潜めるかのように。手前には荷車を引く男が前屈みに独り黒い滲みのように描かれ、画面は不気味な静けさと緊張に支配されるかのようだ。しかしその緊張など構わず、路上には何者かがここを通過したことを知らせるその痕跡がへばり付く。
タイトルになっている議事堂は「帝都の威信」をかけて着工され、17年近い歳月を要して「2・26事件」があった昭和11年11月に竣工した。偉容を誇る帝国新議事堂は新聞やラジオなどで多くの日本人の知るところとなったに違いない。世界に誇る近代国家日本を象徴する建築物の一つとされたのである。しかし未来の私たちは、その後、日本が急速に軍国主義へと傾斜し、戦火の渦中へ身を投じてゆくことを知っている。
その体験は、何かの事柄として説明することができたり、具体的な物語を綴るものではないけれど、写真に写されたよく見知った人や場所が、昭和10年代初め、それ以前にはこんな様子だったのかと思うや否や、自分が生まれるおよそ20年前に撮影されたその日その場所に自分が一瞬のあいだ存在しているような気がしたのだ。その時、その日その場所にタイムスリップしたように、実際に見ることなどあり得ない若い日の家族や、隣家、村役場、鉄道の切通しや周辺の集落などが、よく言われるセピア色ではない現実的な光景となって脳裏に立ち現れたのである。
実はこうしたことは誰にでも起こっていることかも知れない。その写真の内容が、自分自身がよく知っていることや体験したことがあるなど、個人の奥深くにしまわれたある過去にかんする記憶だった場合、それが想起の導火線のような働きをするのではないだろうか。その時その場所その情景を記録しておくこと。写真にしても肉筆や活字にしても、あるいは物にしても、いずれもがそれに関係する未来の人間にとって、実際には体験していない過去のことをふと脳裏に想起させる貴重な歴史資料になる。
それが絵画だったらどうだろう。例えば岩手県立美術館で所蔵している松本竣介が昭和17年に描いた《議事堂のある風景》。横幅約90cmの油彩画。竣介の表現スタイルが円熟した時期の一点である。画面遠くにシルエットのように描かれた議事堂はニョッキリと現れた何かの残像のようにも見える。道路で隔てられているのだろうその左側には、人々が働きまた暮らす工場や民家と思しき建物が押し黙るようにして建ち並ぶ。煙突から微かに煙が立ち昇っているのも確認できる。まるで身を潜めるかのように。手前には荷車を引く男が前屈みに独り黒い滲みのように描かれ、画面は不気味な静けさと緊張に支配されるかのようだ。しかしその緊張など構わず、路上には何者かがここを通過したことを知らせるその痕跡がへばり付く。
タイトルになっている議事堂は「帝都の威信」をかけて着工され、17年近い歳月を要して「2・26事件」があった昭和11年11月に竣工した。偉容を誇る帝国新議事堂は新聞やラジオなどで多くの日本人の知るところとなったに違いない。世界に誇る近代国家日本を象徴する建築物の一つとされたのである。しかし未来の私たちは、その後、日本が急速に軍国主義へと傾斜し、戦火の渦中へ身を投じてゆくことを知っている。
松本竣介 《議事堂のある風景》 1942年
竣介の議事堂のあるこの絵は、誇らしさとは全く異なる竣介独自の空気感のようなもので満たされ、これを見ていると描かれた実際の場所はどこかなどという詮索はあまり意味がないように思えてくる。この場所が実際に存在したかどうかということより、昭和17年の東京の街に立ってこれを描いた竣介は何を見て何を感じていたのだろうかと想像してしまう。モダン都市東京の街と文化に憧れながら、芸術家として求めるものを率直に描きたかっただろうその精神までを拘束しようとした戦時体制という見えない恐怖に抵抗し続けた竣介の心に湧いていたもの、それは何だろうかと考え始める。
同時に、見知っているけれど現在とは異なった、あるいは実景ではないかも知れない竣介の議事堂のある東京の街が導火線のようになって、未来の私たちの脳裏に想像とも想起ともつかない実際の当時の東京のイメージが一瞬、立ち現れてくるかも知れない。想像や想起の場は、見知らぬ場所や遠い時代のことではない。見る者自身が、少なくとも時間軸のどこかで(ここでは議事堂なり当時の時代や東京の文化や社会というものに)関係したり見知っているということを忘れてはならない。体験していなくても、いつかどこかで見知ったものだからこそ描かれた過去の景色や写真を自分自身の記憶の中に引き入れ、脳裏に何らかの光景を想起させることができるのではないか。イメージは写真や絵の中ではなく、見る者自身の奥深くにしまわれた記憶の中にある。
同時に、見知っているけれど現在とは異なった、あるいは実景ではないかも知れない竣介の議事堂のある東京の街が導火線のようになって、未来の私たちの脳裏に想像とも想起ともつかない実際の当時の東京のイメージが一瞬、立ち現れてくるかも知れない。想像や想起の場は、見知らぬ場所や遠い時代のことではない。見る者自身が、少なくとも時間軸のどこかで(ここでは議事堂なり当時の時代や東京の文化や社会というものに)関係したり見知っているということを忘れてはならない。体験していなくても、いつかどこかで見知ったものだからこそ描かれた過去の景色や写真を自分自身の記憶の中に引き入れ、脳裏に何らかの光景を想起させることができるのではないか。イメージは写真や絵の中ではなく、見る者自身の奥深くにしまわれた記憶の中にある。