vol.1 町へ出よう
館長 原田 光
2010.5
旧石井県令私邸
関東の南の町から、通勤してくる。一晩か二晩か泊まって、また帰る。そうして一年がすぎた。夕食をどうしたものか、夜の町にでて行き場に困ったり、早朝に、城跡や寺々のあるあたりでのらくらし、あわてて職場へ方向を転じるといったことばかり、だものだから、外に知りあいもできないでいた。それが、去年の暮に、県の古い公会堂で開かれた現代作家の展覧会を見にいってから、ちょっと変わった。何人かの人たちと出会った。遅くまで飲んだ。気心が通いあいだしたように思えた。それから、石井県令邸というところへもいった。明治19年の洋館というから古い。その地下から屋根裏にまで、今の作家の作品が設置してあって、作品と建物の息もぴったり、たがいに引き立てあって、すばらしかった。またこの前は、明治末の建築の、めずらしく繊細な造りを残して、今は「啄木・賢治青春館」の看板をさげている建物の中で、沢田哲郎展を見た。その他の場所へも、だんだんと足がのびだした。
展覧会にゆくと、古い建物に出会う。思いがけず、一度で二度も得をする。古い盛岡に新しい盛岡が盛りつけられているわけである。それが自然にいっている。さり気なくて、何ともしれずに居心地がいい。昔を今に生きつなぐことにかけて、この町の内部には、長年きたえた知恵と才能がひそまっているのではないかと思えたりする。盛岡と出会えてよかった。行く当てもついてきた。
といっても、江戸期はおろか明治以後の古建築などは、もはや、ちらほらとしか存在していない。そういうものをもっと多く残した町は他にあるだろう。しかし、盛岡では、ときどき、そこで展覧会が開かれる。行政が支援するときもあるが、それなしに、建物を管理する人と作家の間の自主的な企画によって開くといったこともあるようだ。だから、そうしょっちゅうはできない。ともかくも、作家が自作を発表する場を自分の努力でえることが、建物の保存につながってゆく結果になっている。この自主努力には頭がさがる。やりがいはあるが、しかし、やりつづけるのはむつかしかろう。美術館も勢いをつけて、作品といわず作家といわず建築といわず盛岡といわず、岩手中の四方八方をかけずりまわり、出会いと知りあいを繰りかえしたら、活気がついて、あっちこっちに展覧会が生じ、ときどきでなく、しょっちゅうそれが開かれるようになるのではないか。この頃は、美術館の若い仲間と、町へ出よう、岩手を歩こうと語りあっている。僕は味をしめてきた。