vol.36 盛岡のSisypheには草取りの刑
副館長 長谷川英治
2013.06
草取りをしている間に、気が付けば、いつの間にか父も母も亡くなっていた。
草取りは、暫く目を離すと雑草が圧倒的な勢力で菜園を覆い、そうなると生半可なことでは退治することが出来なくなる。農薬は一切使わないので、気を抜かずにコツコツと草を抜く作業が20年余り続いている。趣味の園芸の域は出ないが、ヨーロッパの雑草だらけのオーガニックとはこの辺が違う。
草取りはエンドレスの単純作業の繰り返しであるが、麦わら帽子の下の汗ばんだ頬にふ〜っと風が渡ったり、鶯の鳴き声が段々と練習の成果を感じさせてくれたり、野鼠が足元から飛び出したり、カモシカがこちらを見ながら悠然と通り過ぎて行ったり、珍しいことにはカニが横切って行くのにも出くわしたりもする。何の因果や脈絡も無く昔の出来事が心に去来したり、知らず知らずのうちに、昔小学校の校庭に流れていた下校時の音楽を口ずさんでいたりする。草取りは苦痛の永遠循環のように見えるかもしれないが、五感や心は解き放たれていて実は楽しさや豊かささえ感じる。草取りは鄙に住む者の特権である。
そういえば、私にもいくつか夢があった。四つ程あったが、そのうち二つは実現する見込みが既に完全に絶たれている。一つは可能性こそ残っているが成否は未知数。しかし、残る一つについては、今ならじっくり半田ゴテを持つことも出来るかもしれない。いつかいつかと思いながら実は忘れていた夢があったことに草取りをしながら気が付いた。
中学生の時、技術家庭の時間に並三(なみさん)、家では五球スーパーという真空管ラヂオを組み立てて自信を得てから、「テレビジョン技術」というNHK番組の助けも有って、大胆にもご近所のテレビの修理を買って出ていた。 テレビが壊れたと聞いては、お医者さんの診療カバンよろしく、いそいそと真空管のストックが入っている箱を持参して行き、これは水平出力管に問題がある、これはダンパ管じゃないか、と診断しては怪しいとみられる回路の真空管を差し替えるという単純な(いい加減な)ことで修理していたというか、遊んでいたと云われれば遊んでいた。素人ながらこれが結構な確率で上手く行き、ご近所さんや、友達との溜まり場になっていた「おでんせ」というお店のおばちゃんからもテレビが直ったと喜ばれたものだ。
これには、真空管のストックが必要だったが、当時は、真空管からトランジスタ(半導体)に代わる世代交代の時期で、何らかの理由で映らなくなったり具合が悪くなったテレビや、電蓄などがジャンクとしてあちらこちらに筺体ごと捨てられていたから、そこから真空管を蒐集するには困らなかった。
中学生の時集めた真空管の大部分は既に失くしてしまったが、真空管としては最もシンプルな構造を持つ2A3が4本、天袋の中に仕舞い込んだままだった。いつかステレオに組み立てたいと思っていたが、30回以上の引越しの間に、いつの間にか只毎回運ぶことだけが目的化していた。
早速、忘れていた夢の実現に取り掛かったが、準備の途上で東日本大震災津波が発災し、製作は1年程中断を余儀なくされた。最近になって漸くそれが完成し、件の真空管(双葉UX2A3)を差して、おそらく50年振りぐらいで灯(ひ)を入れてみた。淡い光を放つステレオから、どこにそういう音が刻まれていたんだろうか、まるでそこに楽器があるように、マイクの前に人が立っているように、澄んだ音が鳴り響いた。たかが昔の真空管ステレオと侮っていた無知な自分が恥ずかしい。