岩手県立美術館

vol.16 作品の健康管理

 主任専門学芸員 根本亮子
2011.10

上)地震直後の松本・舟越展示室 下)萬鐵五郎《中禅寺湖》1900年頃

 学芸員の仕事というと、展覧会やギャラリートークといった「オモテ」の部分が注目されがちですが、お客さんの目に触れることのない「ウラ」の仕事もあります。そのひとつが、コレクションの保存管理に係わる仕事です。

 美術作品にダメージを与える「敵」は、いたるところに存在します。害虫、カビ、ホコリ、熱、紫外線などはその代表格。本来作品を守るための額縁や収納箱なども、古くなったり、使われている材料や収納方法に問題があれば、逆に作品を傷める原因となることもあります。保存という観点からすれば、作品の移動や展示だって、作品を危険に晒す行為にほかなりません。極端に思えるかもしれませんが、輸送中や展示作業中に発生する作品破損事故は、珍しいことではないのです。

保存管理の仕事とは、簡単にまとめれば、「作品を少しでも長持ちさせるため、ダメージを与える要因を作品からできる限り取り除くこと」と言えるでしょうか。コレクションを後の世代まで伝えていくことは、美術館や博物館の大きな使命であり、建物の設備にも、そのための様々な対策がなされています。例えば、展示室や収蔵庫はある一定の温湿度に保つように空調管理され、照明も紫外線をカットするものが使われています。3月の震災では盛岡でも震度5強の揺れが長く続きましたが、免震機能を備えた展示台やケースの作品は、ひとつも倒壊しませんでした。
ただ、私たち自身が行えるのは、もっと単純で地道な作業です。例えば、展示室や収蔵庫のあちこちに設置した温湿度計の記録用紙を週1回交換し、異常な変動がないかを確認する。虫の発生原因となる汚れた資材などを片付けて、収蔵庫の中や周辺を清潔に保つ。作品を収納する箱や、額縁の金具や紐が古くなっていたら交換する…などなど。そのほか、専門業者さんにご協力をいただく収蔵庫の清掃や、虫・カビの発生状況についての詳細な調査に立ち会うこともあります。
私は3年半ほど前から、こうした保存管理の仕事を担当するようになりました。そして学んだのは、「『後世に伝えるのが使命』と言葉で言うのは簡単でも、それを具体的に実践していくのは結構しんどい」ということです。展覧会や他の仕事を並行して抱えていると、週にたった1度の記録用紙交換すら忘れてしまうことがありますし、ダンボールなどの資材は、片付けても片付けても、いつの間にかまた増えています。作品や資料も増え続けますから、全ての状態を把握するには、いくら時間があっても足りません。展覧会とは違って終わりのないこの仕事に、つい遠い目をしてしまうこともたびたびです。
ある日、ふと「作品の保存管理は人間の健康管理とよく似てるな」と思いました。不摂生を続けて具合が悪くなった身体を、薬や手術で治すことはできるかもしれませんが、元の健康体に完全に戻ることは難しいでしょう。それよりは、身体に良いことを毎日こつこつ続けることが、結局のところ、健康を保つための最も有効な手段だと思うのです。傷んでしまった作品を修復することはできますが、いったんダメージを受けた作品も元の状態には戻りません。傷めないためのケアを積み重ねる方が、作品も良い状態で長生きできるに違いありません。
当館コレクションの中で最も長老格にあたる作品に、萬鐵五郎が少年時代に描いた水彩画があります。御年111歳くらいですが、色彩は未だ美しく、実にお元気です。直射日光の当たる場所に掛けられた水彩画が、数年経たないうちに色褪せてしまうことを思えば、111歳でのこの健康ぶりには改めて驚きます。でも、実は美術の世界では、当館の長老もまだまだ若い方なのです。何しろ、国内外には数百歳でお元気な先輩方も大勢いらっしゃいますから。作品の寿命からすれば、私が作品の健康管理に携われる時間などは、ごくわずかにすぎません。でも、少なくとも、見守ることのできた年月分くらいは、どの作品にも長生きしてほしい。そう願いながら、今後も作品たちを注意深く見守っていきたいと思います。
「じゃあ、根本さんも、コンビニ通いや夜更かしはやめて、規則正しい生活しなよ」「…それも言うのは簡単ですけど」

岩手県立美術館

所在地
〒020-0866
岩手県盛岡市本宮字松幅12-3
電話
019-658-1711
開館時間
9:30〜18:00(入館は17:30まで)
休館日
月曜日(ただし月曜日が祝日、振替休日の場合は開館し、直後の平日に休館)
年末年始(12月29日から1月3日まで)